以下の文章は2009年の夏に勤務校内の研究会のためにわたしが単独でまとめたものです。原題は『英語科がいま、とりくんでいること』でした。わたしが1999年度からつづけてきたとりくみが2007年度から英語科の新教科課程となり、そのとりくみについて報告しました。そのため、「英語科」のとりくみとして書きましたが、表わされている考え方や独特な用語はすべてわたしが発想したもので、それらを含めて教科課程に採用されているので、著わしたすべてが Kenneth I. Cowart のとりくみそのものです。念のため。
特定の名称を一部伏字としました。
ところで、そもそも〈文のくみたて〉についてこのようにとらえ、表わしたのは、生徒にとってわかりやすい "ものさし" を示す必要があったからである。その際の視点は次の2点であった。
重要なのは視点2だ。一般に、一文中の語数が多いほど、その文の内容理解に支障をきたす生徒が増える。原因を探ると、「文がどこで切れているのかわからない」と答える生徒が少なくない。〈文の切れ目〉を教員が示す授業が多いが、それでは授業以外で出会う文章にどう対処したらよいのか。〈文の切れ目〉を自身で判断する基準を示す必要性がそこにある。
(4) の @・A を見ると、その中に "/" あるいは "//" が入っている。これが〈文の切れ目〉を表わしている。何がそれを生みだしているのか。それは前置詞と連結詞である。前置詞が文を長くつなぎ、連結詞が文と文とをつなぐ8。両者はつなぐことが役割なので「つなぎことば」と名づけている。
1つに見える文も、この「つなぎことば」によってつなげられているのであって、そこには「見えない〈切れ目〉」がある。この「見えない〈切れ目〉」が見える目を養っていくことが、〈文のくみたて〉の学習にとって大切な視点である。