以下の文章は2009年の夏に勤務校内の研究会のためにわたしが単独でまとめたものです。原題は『英語科がいま、とりくんでいること』でした。わたしが1999年度からつづけてきたとりくみが2007年度から英語科の新教科課程となり、そのとりくみについて報告しました。そのため、「英語科」のとりくみとして書きましたが、表わされている考え方や独特な用語はすべてわたしが発想したもので、それらを含めて教科課程に採用されているので、著わしたすべてが Kenneth I. Cowart のとりくみそのものです。念のため。
特定の名称を一部伏字としました。
現在、高校において英語科がとりくんでいることの根底には、「生徒がすでにもっている日本語の力を生かす、さらに伸ばす」という考えがある。その考えは、たとえば、次のような形で授業に現われる。
これらは、大津がいうところの、「言語普遍性」を基盤にした「ことばへの気づき」を育てるとりくみにあたるのだろう。英語に苦手意識をもって入学してくる生徒が多い本校にあって、このように日本語の力を生かして英語をまなんでいくと、確実に英語および英語の授業に対する見方が変わってくる。
大津はまた、外語学習における「分析的アプローチ」の重要性を説くが、どのような”ものさし”をもって分析するのかはひじょうに重要な問題である。大津も、「英文法の中の基礎的な部分を正確に、しかも、わかりやすく解説した」「学習英文法」が必要だと述べている。英語科では、その”ものさし”を〈くみたて〉を測るものと〈動詞の形と意味〉を測るものとに絞っている。絞っているのは、それが英語を理解するうえで基礎だと考えているからだ。
そのうち、〈くみたて〉を測る”ものさし”は3本ある。「音の〈くみたて〉」を測るもの、「文の〈くみたて〉」を測るもの、そして「文章の〈くみたて〉」を測るものである。たとえば、「音の〈くみたて〉」を測る”ものさし”を中学時代に渡された経験をもつ生徒はほとんどいない。だから、生徒たちは「読めない」「書けない」といって苦しむ。しかし、そのPものさしQを自分の力でつくりあげると読める/書けるようになり、「読んでみよう」「書いてみよう」と思うようになる。また、自分の力でつくりあげた”ものさし”だからこそ、その”ものさし”を使って説明されると「納得」ということばがよく生徒の口をついて出る。
”ものさし”がわかりやすく、できるだけ本数が少なくなるように包括的であれば、最終的にはそれを用いて自ら分析し、判断できるようになる。「分析的なアプローチ」がめざすところはそういうことであろう。